2009年6月1日月曜日

ホクレア- Sachi Braden

小学生のころに習った、ソアーハイエルダールの率いるコンテイキという筏の船で、南米からエンジンの力をかりないでイースター島まで到着して、イースター島の文化をさぐる、また人類の移動の歴史を証明したことをおぼえていらしゃるでしょう。 ハワイの子孫はどこから来たのか、そのルーツを探る試みが1976年にホクレア(Hokule'a)という筏の船でハワイからタヒチに33日で航海を成し遂げるとい快挙をなしとげ、ハワイ民族ルーツのひとつの説を実現させます。ハワイの子孫は海をへてタヒチからハワイまで2500マイルの長旅をしてハワイにたどりついたのです。

風と星と海の波を読むことで、毎日どれくらいすすんだかを頭に入れながら、海と密着した民族ならではできないことです。 最初の航海はハワイではもうすでに、自然を、海をよめるひと、航海するひとがいないので、ミクロネシアのサタワル島からマウさんという航海士をキャプテンとしてタヒチまでの処女航海を成功させました。 このマウさんに航海術をならったハワイの青年ナイノアトンプソンがその後舵をとり、タヒチ、トンガ、サモア、クック、アオテアロア等のポリネシアの島々からハワイへの航海が600年前におこなわれたときと同じように成功をさせています。 モーターも機器もなく、動力はただ風にたより、方向は波の動きと、星の位置にたよるナビゲーション。日本へのホクレアのたびに同情した唯一日本人のウチノさんによると、マウさんは横になって眠っていても、船の方向がかわると、おきてくるほど、体で、わかるそうです。 波を読んで、海のど真ん中にいても、航路からはずれていないかわかるそうです。 地平線のむこうにいる船が、波があがるときにはるかかなたからでも、船のマストが見えるので、船がくるのが遠くてもわかるそうです。 自然のなかで、自然へのだい六感がすばらしく発達していたのが、人間のすがただったのではないかと、機械文明のなかで、それが衰えなくなってしまった我々は、進化どころか退化してしまったのだと、考えさせられました。 そのホクレアに乗せて頂いた、すばらしい夕方から夜でした。 舵もすこしとらせてもらったし、帆をあげるのを目の前でみせていただきました。ホクレア航海の成功は、ポリネシアだけでなく、世界にも翼を、いや、帆を広げるそうです。


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